「ラドネジのセルギイ」小伝  その4

ラドネジのセルギイ
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☆ ロシアの大隊を祝福する ☆

セルギイが生まれた時代、ロシアの人々は、長年にわたるタタールの支配によって、人間としての尊厳をなくし、諸侯たちは内輪争いを繰り返して、国民も道徳心を失い、国家としては統一されておらず、無法状態に陥っており、もはや崩壊の危機に直面していた。しかし今や神は、ロシア正教会の切なる祈りを聞き入れて、ロシア解放の時が近づいたのだった。そしてまさしくセルギイこそが、その解放者として生まれたと言えよう。セルギイは沈滞した人々の精神を高揚させ、彼らが内に持つ力に目覚めさせて、神を信じる者には必ず神の加護があることを、自らの生き方によって示して、彼らに希望を与えたのだった。

そしてセルギイの覚醒に呼応するかのように、新しい世代がロシアに現れて、彼らはロシアを開放すべく憤然と立ち上がったが、その中のひとりがモスクワ大公ドミトリイ・イワノヴィッチであった。タタールの王ママイは、西暦1380年夏、ロシアを蹂躙せんと進軍してきたが、大公ドミトリイはロシアの諸侯をまとめると、タタール人たちを迎え撃つため準備していった。しかしロシアの勝利のためには、セルギイの祝福を得ることが最も重要と理解したドミトリイは、ロシア各地の諸侯と軍人らと共に、モスクワで生神女就寝祭(聖母マリアの永眠を祝う祭り)を祝った後、セルギイの修道院を訪れた。そしてドミトリイは、彼を迎え入れたセルギイに次のように語った。「すでに知っておられるでしょうが、神をも恐れぬあのタタールの王ママイは、ロシアの全教会を滅ぼし、キリスト教徒を殺害せんと、大軍勢を率いて進軍しております。この大難よりロシアを救うべく、どうか我々に神の御加護をお祈りください」その依頼を聞いたセルギイは、ドミトリイに必ず神の助けがあると信じるよう告げると、教会での聖餐式に参加するよう促した。聖餐式が終わった後で、セルギイは、ドミトリイと諸侯、軍人たちに、自分たちと共に修道院で食事をするよう誘ったが、ママイの軍勢が近づきつつあると報告されていたドミトリイは、ただちに戦いに向かわねばならないと、それを辞退した。しかしなおもセルギイは「大公よ、この食事はあなたの益になるでしょう」と告げたために、ドミトリイはそれに同意したが、その時セルギイは彼に、次のような予言を告げた。「主なる神は必ずあなたを助けるでしょう。しかしながら、タタールに対する最終的な勝利は、まだ先のことになるでしょう。しかしあなたたちの軍勢は、殉教者として、長く人々の記憶に残るものとなるでしょう」そのように語ると、セルギイは聖水を準備させて、それをドミトリイと、諸侯、将軍、そしてすべての軍人に振りかけて、彼らを祝福した。

その後セルギイは、異教徒であり、残虐な敵のママイを、贈り物によって祝福するようドミトリイに助言した。「大公よ、あなたは国民のために立ち上がり、自らの命を捧げる覚悟が必要です。そしてキリストが我々のために血を流されたように、あなたも国民のために血を流す覚悟が必要なのです。しかしその前に、大公よ、まず誠心をもってママイのもとを訪れねばなりません。なぜなら現在のあなたの立場としては、支配者である彼に従う必要があるからです。かの偉大なバシルは、傲慢な王ジュリアンに供物を提供し、そのようなバシルの謙虚さをよしとして、神はジュリアンを滅ぼされたのです。聖書によるなら、もし敵が名誉を捧げられることを望むなら、我々はそのようにすべきです。そして彼らが金銀を望むなら、我々はそれを差し出すべきでしょう。しかしキリストの御名において、また正教会の信仰のために、我々は彼らに、我々の生命と血を捧げるべきでしょう。そして大公よ、あなたは彼らに名誉を捧げて、金銀を提供するがいいでしょう。そうするなら神はあなた方を守って、決して彼らに征服させることはないでしょう。主はあなたの謙虚さを認めて、必ずやあなたを助け、彼らの傲慢さを罰せられるでしょう」それを聞くと、ドミトリイはこのように返事した。「私はすでにそのようにしてきました。しかし彼らの傲慢さはますます酷くなるばかりなのです」セルギイは答えた。「もしそうであるなら、ママイの敗北は避けられないでしょう。そしてあなたは必ず主の加護を受けて、栄光を授けられるでしょう。主と聖母マリアに助けを求めるなら、あの方々は我々を見捨てることがないでしょう」その後、セルギイは十字架で彼を祝福すると、熱意を込めてこう言った。「さあ、大公よ、戦いに赴きなさい。恐れることはありません。主はあなたが敵を倒すことに必ず力を貸されるでしょう」さらにセルギイは声を潜めて、ドミトリイにこのように告げた。「あなたは必ず敵を征服できます」

この予言を聞くと、大公は感涙を流して、主の加護がそのように約束されたのなら、特別な祝福を、彼の軍隊に与えて欲しいと望んだ。その時、弟子たちの間に動きがあって、アレクサンドル・ペレスヴェット、そしてアンドレイ・オスリアビアという2人が、彼らの前に出てきた。その2人は、今はセルギイのもとで僧として暮らしているが、かつては軍人として働いた者たちで、彼らはセルギイに、タタールの軍と戦うことを認めて欲しいと言った。ドミトリイはその申し出を大いに喜び、彼らのように神に身を捧げた者が軍隊に加わるなら、軍人たちの士気はますます高まると考え、セルギイに2人を自分に預けてくれるよう頼んだ。その依頼を聞いたセルギイは、2人にただちに戦いの準備をするよう命じ、彼らは喜んでその命を受け取った。セルギイはその2人の弟子に、鎧兜の代わりに、十字架の紋章を持つ衣を着けるよう命じて「これらを鎧や兜の代わりに着けるなら、あなたたちにとってこれらは不滅の武器となるでしょう」と告げた。そして「兄弟たちよ、どうかあなたたちに平安のあるように。さあ、キリストの御名のもとに、雄々しく戦いなさい、今やあなたたちの武勇を示す時が来たのです」と言うと、再びドミトリイと諸侯、そして彼らを、十字架と聖なる水で祝福して「主なる神は必ずあなた達を助けて、敵を滅ぼし、あなたを祝福してくださるでしょう」と言った。ドミトリイはこの予言に感激して「主と聖母マリアが我々に力を貸してくださるなら、我々は必ず勝利するでしょう。そして勝利の暁には、私は聖母マリアを祝福して、彼女の栄光のために、修道院を建設するでしょう!」と宣言した。セルギイは彼らと共に修道院の門まで行くと、すべての戦士を祝福したのち、彼らを戦場へと見送った。

☆ クリコヴォの戦い ☆

その後ドミトリイは急いでモスクワに帰ると、当時の府主教キプリアンに、セルギイとの会談を報告して、彼から予言を授けられたことを伝えた。それを聞いた府主教は大いに喜んだが、セルギイの預言については、それが実現して、主の約束が確実となるまで、人々には秘密にするよう命じた。しかし大公ドミトリイが、タタールの王ママイとの戦いにあたって、至聖三者教会を訪れ、聖者セルギイから祝福を受けたという噂は、ロシア諸侯の間で一気に広まっていった。この噂を聞いた人々の心には、今や希望の光がともり、その一方、タタールの王ママイに組みする人々は、不安に駆られていった。その中のひとり、リャザンの地を治めるオレグは、モスクワを裏切り、ママイに味方するよう動いていたが、彼の部下はオレグに次のように報告した。「モスクワの地にはセルギイという聖者がおって、彼は神の言葉を伝えることができるのですが、彼はドミトリイを祝福して、ママイに勝利するよう祝福を与えたのです」オレグはこれを聞くと非常な不安に陥り「なぜもっと早く知らせないのだ。もしそうであるなら、私はママイのもとに行き、どうかこの度はモスクワに進軍しないようにと懇願したのに!」と嘆き、タタールの王ママイに協力するのをあきらめてしまった。

そうするうちに、ドミトリイの軍勢はドン川を渡って、クリコヴォの平原に到着した。1380年9月8日の早朝であった。彼らの後方にはドン川が流れ、前方にはママイの軍勢がひかえて、彼らはまさしく背水の陣をしいていた。セルギイはあらかじめ、再度ドミトリイを勇気づける必要があると理解していたため、彼のもとに伝令を送って、聖母マリアの御名で聖化されたパンと、伝言を記した手紙を、戦場に到着した彼に手渡した。セルギイは手紙の中でドミトリイに、神の御名のもとに雄々しく戦うよう指示して、主の加護を決して疑ってはいけないと諭し、手紙の最後を「大公よ、いさぎよく戦いに赴きなさい。神と至聖三者は必ずあなたを助けられます」と言う言葉で締めくくった。ドミトリイはその手紙を読むと、手渡された、聖化されたパンを口にして、両手を天に向けて伸ばすや、戦場に響き渡るような大声で、神に対する祈りの言葉を唱えた。「大いなる至聖三者に栄光あれ、聖母マリアよ、どうか我らに力を貸し与えたまえ、そして尊父セルギイよ、われらロシアの兵たちのために、どうか祈りたまえ!」

セルギイから手紙が届いたという話は、たちまちのうちに軍隊の間に広まっていった。それはあたかも、セルギイ自身がこの戦場にやってきて、彼らを鼓舞したようなものだった。この手紙はまったく予期せぬことだったが、最もふさわしい時に届けられた結果、戦士たちは大いに励まされて、タタールとの戦いに挑むことになった。ドミトリイは、セルギイからの伝令に別れを告げると、丘の上に立ち、眼下に展開する戦士たちをゆっくりと見渡した。彼らの持つ、無数の旗が風にたなびき、彼らの武具や鎧、兜は、秋の日差しのもと、まぶしく光り輝いていた。おそらく彼らの多くはこの戦いで、祖国ロシアのために命を落とすだろうと知ると、ドミトリイは大地に膝まずき、戦いを前に、熱心に神に祈りを捧げるのだった。その後ドミトリイは馬に乗り、部隊の間をまわると、彼らを「忠実なわが同胞、そして愛する同志たちよ、ともに戦おうではないか!」と鼓舞していった。それに対して戦士たちは「我々はキリストと祖国ロシア、そして大公よ、あなたのために、この身を捧げるでしょう!」と返答するのであった。ドミトリイは鉄の矛を手に持ち、誰よりも先に戦わんと、歩を進めて「それが死であろうと、生であろうと、私はあなた方と同じ杯を口にするであろう!」と宣言したが、将軍たちから命を無駄にしないで欲しいと引き止められたため、後方で指揮をとるべく、しかたなく前線から引き下がった。

☆ アレクサンドル・ペレスヴェットの殉死 ☆

今やロシアの命運を決定する瞬間がやってきた。ドミトリイが指揮するロシアの軍隊と、タタールの大軍との間には、わずかの大地が広がるだけであった。両軍がにらみ合いを続けていると、タタールの軍勢の中から、チェリベイという名の、恐るべき大男が現れた。かつての大男ゴリアテ(旧約聖書に出てくるペリシテ人の大男で、将来のイスラエル王となる少年ダビデと一騎打ちをした)のように、自らの体力に高ぶったその怪人は、鋭い槍を振り回すと、その姿に恐れをなしたロシア兵たちに向けて、自分と一騎打ちする者はいないのかと挑発した。しかし強大な腕力を持つその大男に、ロシア軍の中の勇者でさえおじけづいてしまい、誰も名乗りを上げようとはしなかった。だがその時、ドミトリイの軍の間から、ひとりの男が名乗りを上げた。彼こそはセルギイによって送られた、アレクサンドル・ペレスヴェットそのひとであった。「どうか心配なさらないでください。あの傲慢なるタタール人は、自分に匹敵する者などいないと思っているようです。けれども、私が主の御名のもとに彼と戦うでしょう。ああ、神に栄光あれ、私はこの戦いに身を捧げるでしょう。どうかみなさん、天国でお会いしましょう!」と言うと、セルギイの命により、鎧兜の代わりに、聖なる紋章の衣を身に着けたペレスヴェットは、聖水を体に振りかけるや、心の中で尊父セルギイと、整然とその場に並ぶドミトリイと戦士たちに別れを告げると「父よ、そして兄弟たちよ、罪人である私をお許しください!」と叫んだ。それに対してロシアの戦士たちは「神はあなたを許されて、セルギイの祈りによって、神はあなたを助けられるでしょう」という言葉で、彼を奮い立たせた。彼らはペレスヴェットの無私の心に感激して、かつてダビデがゴリアテと戦った時、神がダビデに味方したように、どうかペレスヴェットにも力を貸し与えたまえと祈った。ペレスヴェットは鋭い槍を持つと、馬にまたがるや、タタールの大男めがけて、稲妻のように突進していった。そしてそのタタールの怪人に近づくと、彼は雄叫びをあげるや、手に持つ槍を、満身の力を込めて一気に突き出した。こうして両者が激しくぶつかりあった時、両陣営からは大きな歓声が沸き上がった。二人の戦士は互いの身体を槍で貫き通すと、ともに大地に転がり落ちたのだった。これを契機として、対峙していた両軍は一気に戦闘状態に突入し、いまやクリコヴォの平原は、彼らが流す大量の血と、転がり落ちる武具などで混とんとなり、次々と彼らの死体が戦場を埋め尽くしていったのだった。ロシア軍の大公ドミトリイは、この様子を眺めると、もはや後方での指揮をやめて、馬から飛び降りると、武器を手に取り、戦場の真っただ中へと駆けていった。この戦いでは、実に多くのロシアの英雄が命を落としたが、一説によると、15万のロシアの戦士のうち、無事に帰還したのはたったの4万人で、タタールの軍勢は、その倍の数の戦士を失い、ほぼ全滅状態であったとされる。

クリコヴォの平原で戦闘が展開する間、至聖三者教会の修道院では、セルギイは僧たちの全員を集めて、ドミトリイが率いるロシア軍の戦勝を願い、全員で神に祈りを捧げていた。セルギイは、その身は至聖三者の教会にあったが、その魂はクリコヴォの戦場にあり、彼はその心眼によって、戦場で今まさに起こっているすべてを見通した。戦場における展開を、セルギイはことごとく僧たちに伝えて、倒れていった英雄たちの名前をあげるや、彼らの魂が平安であるように、僧たちと共に神に祈るのだった。そうしてついにセルギイは、ロシア軍が敵を滅ぼしたことを確認すると、感謝の祈りを僧たちと共に神に捧げた。この戦いにおいてロシアの軍隊が勝利をおさめたことは、直接にはロシアのタタールからの解放につながらなかったが、この勝利がきっかけとなって、ロシアの人々は勇気と尊厳を取り戻し、やがてタタールのくびきから脱出する機会を得ることになった。

クリコヴォの戦地からモスクワへ帰る途中、大公ドミトリイは、タタールとの戦いに勝利したことを報告し、そして主と尊父セルギイに感謝するために、再びセルギイを至聖三者教会に訪ねた。セルギイは修道院の玄関でドミトリイを迎えると、イコンと聖水を手に、十字架によって彼を祝福して、その勝利を祝った。ドミトリイはセルギイに、戦場での戦いの様子を説明し、彼が自分に預けてくれたペレスヴェットの働きを語ると、次のように感謝の意を表したのだった。「もし勇者ペレスヴェットがあのタタールの大男を滅ぼしていなければ、我々の多くの仲間が彼によって滅ぼされていたでしょう。しかしこの戦いではまことに多くのキリストの戦士が亡くなりました。どうか彼らのために祈って、彼らに祝福を与えてください」そしてモスクワの大公ドミトリイは、その時、多くの供物を至聖三者教会の修道院に贈り、さらに戦勝を祝って集まった人々にも多くの贈り物を与えて、セルギイたちとともに食事を摂ると、その後、モスクワへと帰っていったのだった。その後、彼は戦いの前になした約束を果たして、ドゥベンカ川のほとりに、ストロミンスキィ・ウスペンスキィ修道院を建設した。また戦場であったクリコヴォの地には、聖母マリアの誕生を祝福する修道院を建てさせた。そして府主教アレクシイが亡くなった後、ドミトリイはセルギイを師と仰いで、国政に関して助言を受けるようになる。さらにはセルギイに依頼して、自分の息子たちの名付け親にまでなってもらった。ラドネジの聖者セルギイは、正教会の復興のみならず、モスクワの政治にも間接的に関与したが、彼はモスクワの地位を高めて、ロシアの統一に寄与するために、大公ドミトリイの時代のみならず、彼の父イワン・イワノヴィッチ(イワン・カリタの第2子)の時代においても、反逆の兆しのあるロシア諸侯のもとを訪ねて、彼らを説得し、モスクワと和平を結ぶよう尽力した。その地道な努力によって、内輪争いで疲弊しきったロシアは、徐々にモスクワを中心としてまとまり、ついにはタタールからの解放を得ることができたのだった。

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