「ラドネジのセルギイ」小伝  その5

この記事は約14分で読めます。

☆ セルギイの起こした奇跡 ☆

セルギイはじつに多くの奇跡を起こしているが、以下がその主だったものである。ある時、ペルンの主教ステファノは、モスクワへの旅の途中、セルギイの修道院から12キロほどの地点を通過したことがあった。彼はその時、新しく就任した府主教キプリアンに会うために急いでいたため、モスクワからの帰りにセルギイに会おうと考え、修道院への道が分岐する地点に到着した時、馬車を止めて、修道院の方角に頭を下げてセルギイに挨拶した。その時セルギイは僧たちと共に修道院の食堂にいたのだが、彼は心眼によってステファノの姿を確認すると、立ち上がって祈りを捧げたあと「神の祝福があなたにありますように」と語った。周りにいた人々は驚き、セルギイに質問すると、セルギイは「あの時、主教ステファノがモスクワに行く途中、修道院への道が分かれるところで立ち止まり、こちらに挨拶してくれたのです」と返事した。弟子たちは驚いてステファノを追いかけていき、従者からことの次第を聞くと、それが事実であったことを知り、非常に驚いた。

セルギイは多くの病人を癒しており、その逸話も多く存在している。修道院からそう遠くないところに、敬虔な農夫が住んでいたが、彼はセルギイを心から信じていた。ある時、彼の息子は大きな病いにかかってしまい、それを悲しんだ父親は「セルギイならきっと治してくれるだろう」と考え、息子の身体を抱えてセルギイの修道院を訪れた。運び込まれた時、息子はまだ生きていたが、父親に治してくれと懇願されたセルギイが、祈りの準備をしている間に、息子はひどいけいれんを起こして、そのまま死んでしまった。父親は非常に悲しんで、セルギイをこう言って非難し始めた。「こんなことになるなら、息子を連れてこなければよかった。ここに連れてこなければ、息子は家で亡くなり、そうすれば、私はあなたへの信仰を失うことがなかったのに!」父親はそう言うと、息子の死体をその場に残して、棺を作るために外へ出かけて行った。セルギイは死んだ息子を憐れみ、死体のそばにひざまずくと、神に祈りを捧げ始めた。すると祈りがまだ終わらぬうちに、驚くべきことに、息子は突然に目を開けた。やがて棺を持って戻ってきた父親に、セルギイはこのように言った。「そのように早まった行動をする必要はなかったのです。御覧なさい。息子さんはまだ死んでいなかったのです」父親はその言葉をとても信じれなかったが、息子の姿を見ると非常に驚き、直ちにその場にひれ伏してセルギイに許しを請い、また彼に感謝をささげた。セルギイはそれに対して「あなたの息子さんは、寒さのために疲れ切って、ここに運ばれた時、気を失っていただけなのです。それがこの暖かい部屋で元気を取り戻して、意識が戻ったのです。私が生き返らせたのではありません。ですからこのことは誰にも言わないでください」父親はそうすると約束したが、彼の喜びにあふれた様子から、弟子たちは事実を察知してしまい、この話は修道院中に広がっていった。

ある農夫はひどい病気にかかり、3週間ものあいだ、何も食べることができず、また眠ることもできなくなった。彼の兄弟はセルギイに助けてもらおうと、彼を修道院へと運んでいくと、セルギイの足元に彼を横たえて、彼のために祈ってくださいと頼んだ。セルギイは聖水を彼に振りかけて、祈りの言葉を唱えたところ、病人はただちに元気を取り戻して、その後、深い眠りに落ちていった。しばらくして目覚めると、彼は何か食べ物が欲しいと言い、それに対して、セルギイが食事を用意して、彼に提供すると、彼はそれを食べたあと、元気な状態で家に帰っていった。

ヴォルガ川のそばに住んでいたある貴族は、悪霊に憑依されたために、セルギイのもとに連れてこられたことがあった。その男は取り憑いた悪霊の力により、手当たり次第に周りの人に噛みつき、10人が一緒になっても彼を抑制できないくらいだった。そのために家族は彼を鎖で拘束したのだが、それをも引きちぎってしまい、獣のように荒野を歩いたために、家族が探し回って、やっとのことで家に連れ帰ったこともあった。そんな彼らは、セルギイの噂を聞くと、彼をセルギイの修道院に連れていくことにした。しかし悪霊に憑かれたその男は「俺をどこに連れて行こうというのだ? 俺はセルギイというやつなどに会いたくないし、だいいち、名前も聞きたくないくらいなのだ!」と言って抵抗したが、家族は彼を鎖につなぎ、ようやくのことでセルギイの修道院まで連れていった。しかし修道院の門に近づいた時、男は鎖を引きちぎって「俺はこんなところに入りたくない。早く家に連れて帰ってくれ!」と叫んだため、その恐ろしい叫び声は修道院の中まで響いていった。それを聞いたセルギイは、ただちに鐘を鳴らして僧たちを教会に呼び集めると、その男のために祈りはじめた。その結果、男は徐々におとなしくなったので、家族は彼を修道院の中まで連れてくることができた。セルギイは十字架を手に持ち、教会から出てくると、その十字架で男を祝福し始めた。すると男は突然に飛び上がり、近くにあった水たまりに飛び込んで「ああ、体が焼けそうだ! 体全体が火でおおわれてしまう!」と叫んだ。と、その瞬間、男は正気を取り戻して、悪霊の支配から逃れることができた。あとで家族が男に、どうして水たまりに飛び込んだのかと聞くと、男は「セルギイが持っていた十字架から、巨大な炎が沸き上がり、それが私の身体を包み込んだので、私は焼け死ぬのを恐れて、水たまりに飛び込んだのです」と答えた。彼は数日間を修道院で過ごすと、その後、家族と共に家へ帰っていった。

修道院の近くに、非常にケチな金貸しが住んでいたが、彼はある時、村人が大事に育てた豚を取り上げて、彼に代金を払おうとしなかった。そこで困惑した村人は、セルギイに助けを求めにいった。セルギイはその金貸しを呼び寄せると、このように言って彼をたしなめた。「この世には神がおられて、正しき者と罪深き者を審判されるなら、そして孤児と寡婦の父であられる神が、すべての罪を罰せられると知るなら、神の怒りを考えると、まことに恐ろしいことです。であるのに、どうして我々は盗みを働き、悪行をなしておきながら、平気でいられるでしょうか? 神が与えてくれたものだけに満足せずに、どうして自分のもので無いものを望んで、神の忍耐には限界があることを理解しないのでしょうか? そのような人の家は貧しくさせられ、財産は無くなり、おまけに、あの世では恐ろしい永遠の懲罰が待っているのです」これを聞くとその男は心を改めて、代金を払うことを約束したばかりか、自らの生活を改めることも約束した。しかし家に帰るや、彼の心からは、そのような思いはすっかり消えてしまい、セルギイと交わした約束も忘れてしまった。次の日になり、彼が食品貯蔵庫に入ると、吊るしてあった豚の死体は、冬であったにもかかわらず、腐ってしまっており、そこには大量の蛆が沸いていたのだった。これはセルギイの言葉に背いた結果だと知ると、その金貸しは非常に恐れて、ただちに村人に代金を支払ったという。

コンスタンティノープルに住む、ギリシャ人の主教は、ある時、モスクワを訪ねたことがあったが、彼はそこでセルギイが行った多くの奇跡を聞くと、とてもそれを信じられなくて「今のような時代に、しかもこのような僻地で、そのような不思議があるわけがない」と言って、セルギイの神秘力を信じようとしなかった。そこで彼は個人的にセルギイに会って真実を確かめようと考えた。ところが彼が修道院に近づいていった時、彼は突然に恐怖に襲われてしまい、そして修道院に入ってセルギイを見た瞬間、彼は目が見えなくなってしまった。彼はセルギイに自分の疑いを告白すると、自らの無知を責めて、どうか元通り目が見えるようにしてほしいと懇願した。それを聞いたセルギイが、手で彼の目に触れた瞬間、まるで鱗がはがれ落ちたように、彼は再び目が見えるようになった。彼はそれ以降、ラドネジの聖者セルギイは神のような人だと、自分が訪れるあらゆる所で説くようになった。

セルギイの弟子のひとりであるイサクは、ある時、沈黙行を実践したいという自分の願いを、師であるセルギイに伝えた。それに対してセルギイは「もし沈黙行を実践したいなら、明日、聖餐式が終わってから、北の扉のあたりに立っていなさい。私はそこであなたを祝福するでしょう」と返答した。セルギイが聖餐式のあとで彼を祝福したいと考えたのは、沈黙行は非常に高貴な苦行で、またそれは非常な困難を伴うので、彼を特別な祈りで祝福する必要があったからである。次の日になり、イサクが言われた通りに立っていると、聖餐式を終えてやってきたセルギイは、彼を十字架で祝福すると、次のように言った。「主があなたの望みをかなえてくださるように!」するとその瞬間、イサクは神秘的な炎がセルギイの手から現れるのを目撃して、それが自分の全身を包み込むように感じた。こうしてイサクは、それ以降、セルギイの祝福に守られて、沈黙行の道を歩めるようになった。彼が何かしゃべろうとしても、セルギイの祝福がそれを妨げて、彼はしゃべれなくなるのだった。一説によると、イサクはそれ以降、死ぬまで沈黙の中ですごしたと言われている。

ある時セルギイは、兄のステファノとその息子テオドールと共に、教会で聖餐式を行っていた。その時、教会の中にいたイサクは、儀式を行っている祭壇に、光り輝く衣服を着けた第4の人物がいることに気づいた。その見知らぬ人物は、セルギイたち3人を補佐して、セルギイの後をついて歩き、その顔は太陽のように光り輝き、まぶしくて見れないほどだった。この驚くべき人物を見たイサクは、その時、沈黙行を行っていたが、驚きのあまり口を開いて、横に立っていた兄弟子のマカリウスに、あれは誰かと尋ねた。しかしマカリウスもこの不思議に驚いており、このように返事をした。「私にもあれが誰かわからないのだ。私自身、なぜか今、非常な畏れを感じているんだが、ひょっとするとあの方は、ウラジミール公についてきた僧ではないだろうか?」そこで彼らは、その時、聖餐式に参加するために修道院を訪れていたウラジミール公に、あなたは誰か僧を一緒に連れてきたかと聞くと、ウラジミール公は、私は僧など誰も連れてきていないと答えた。そこで彼らはしばらく考えた後、これはセルギイを補佐する天使にちがいないと理解した。やがて式の終了が近づくと、その不思議な人物は姿が見えなくなってしまった。この奇妙な現象に困惑した彼らは、聖餐式が終わった後、セルギイにその神秘的な人物について質問した。しかしそれに対して最初、セルギイは話題をそらして、それに答えようとしなかった。しかし幾度も問われたために、セルギイはついに「愛する弟子たちよ、あの方は神によって遣わされた天使で、私が聖餐式を執り行う時には、いつもやってこられるのです。けれどもこのことは、私が生きているうちは誰にも言ってはいけません」と打ち明けた。

ある時、弟子のひとりであるシモンは、聖餐式で神への供物を聖化する際に、炎が天から降りてきて、それが祭壇のすべてを動き回って照らし出し、その後、聖なる供物とセルギイ自身を覆うのを目撃した。そしてセルギイがその聖餐を口にしようとした時、その神聖な炎は、渦を巻いて聖杯の中に入っていくのだった。モーゼが山で目撃した燃える柴のように、セルギイは、自らは燃やされることなく、その炎を自身の中に受け取っていたのだ。シモンはこの光景に非常な畏怖を覚えて、体が震えるのを止めれなかった。彼はそのまま沈黙を守り続けていたが、その様子からすべてを察したセルギイは、聖餐式の後で彼に近づくと「どうしてそのように恐れているのです?」と問うた。シモンは「聖霊があなたを通して働いているのを見たのです」と答えた。それに対してセルギイは「今見たことは、私が神に召されてこの世を去るまで、誰にも話してはいけません」と指示した。

☆ 未来への約束 ☆

ある真夜中、セルギイは自らの庵で祈りを祈った後、聖母マリアのイコンの前に座って、讃美歌を唱えていた。讃美歌が終わった後、セルギイは深い感動に満たされて、そのイコンを見つめながら、どうか私の修道院の世話を見てくださいと祈った。セルギイが祈りを終えて、休もうとして席に着くと、彼は突然、聖なる存在が近づいてくるのを察知した。そこで従者のミカを呼び寄せると、セルギイはこのように彼に言った。「目を覚ましていなさい。もうすぐ素晴らしい光景を見ることができます」するとその時、どこからともなく声が響いてきて、このように告げたのだ。「さあ、最も聖なる方が来られます!」セルギイは慌てて立ち上がり、庵の玄関に向かうと、そこには太陽よりもまばゆい光が輝いており、その光に照らされたセルギイがその場に見たのは、キリストの使徒ペテロとヨハネと共に立つ、聖母マリアの姿であった。この驚くべき光景に、セルギイは圧倒されて、その場にひれ伏してしまった。聖母マリアはセルギイに優しく手で触れると、次のように語った。「この修道院については、何も心配する必要はありません。あなたがこの世にある間も、そしてこの世を去った後も、必要なものはすべて与えられるでしょう。私はこの教会にとどまり続けて、ここを永遠に守り続けるでしょう」そう言ってその方々は姿を消していった。セルギイはしばらくのあいだ、圧倒されてひれ伏していたが、その後立ち上がると、従者のミカがなおもその場にひれ伏しているのを見た。セルギイは神の母である聖母マリアの姿を見て、彼女の声を聞くことができたが、弟子のミカは恐怖に襲われたために、ただ光を見ただけであった。セルギイは彼に「さあ、体を起こしなさい」というと、彼はなおもひれ伏して、次のように尋ねたのだった。「わが師よ、どうか教えてください。あの不思議な光景は何なのでしょう? あまりもの畏れゆえ、私の魂は体から抜け出してしまいそうでした」しかしセルギイは感動に圧倒されていたために、それに対して返事をすることができなかった。歓喜で顔を輝かせたセルギイは「ミカよ、少し待ってください。いま見た驚異ゆえに、私の魂は今も震えているのです」と言い、しばらくして冷静さを取り戻すと、彼は2人の弟子、シモンとイサクを呼びにいかせた。急いでやってきた2人に、セルギイは自分が見た素晴らしき光景を説明すると、彼らとともに、聖母マリアを賛美して祈りを捧げたのだった。この世での自分の働きの頂点を飾るともいえる、その神的顕現を、セルギイは心の中で幾度も思い浮かべては、その夜をすごしたのだった。

☆ セルギイの旅立ち、そしてその後 ☆

この世を去る半年前、セルギイは神から自分の死の時を知らされた。そこで彼は弟子の全員を集めると、弟子のニコンに修道院長の役を譲ることを、彼らの前で宣言した。1392年9月になると、セルギイは自分の死が近づいたことを明白に自覚して、死の床に弟子たちを招集すると、彼らに次のような、最後の訓告を行った。それらは、正教会の教えに忠実に従い、互いに仲良くして、心と体の純潔を守り、偽善に陥らずに、愛の思いで一つにまとまり、邪悪さと不純な欲望を退け、飲食には節度を保ち、そして何よりも、謙虚さを失わずに、困った人を受け入れて、議論を避け、この世の名誉や名声は空しいことを知り、そしてそれらの代わりに、神の祝福を待つよう努めよ、と言ったものであった。セルギイは神のもとへ帰るにあたり、子供のように自分を敬愛する弟子たちの心に、まるで父親のような愛情をいだいて、全身の力を振り絞り、魂の救済につながる教えを刻み込んだのだった。こうして、今まで語ってきた教えを弟子たちに思い出させると、セルギイはその後、自分の遺体は教会に埋葬せずに、先立って行った他の仲間たちと共に、修道院の墓地に埋葬するよう指示した。悲しむ弟子たちにセルギイは「あなたたちは何も悲しむ必要はありません。今や神は私を呼ばれて、私はそのもとに帰っていくのです。私はあなたたちを、全能の主と、聖母マリアの手に委ねました。これからは彼女があなたたちを守ってくださるでしょう」と語った。ついに最後の時になると、キリストの血と肉を受けるために、セルギイは弟子たちに支えられて、主にまみえるために自分の体を起こした。神秘のうちに来られた主の御手から、セルギイは恭しく聖杯を受け取ると、それを飲み干したのち、再び死の床に身を横たえた。今や神聖な喜びに満たされたセルギイは、目をかたく閉じると「主よ、私の魂をあなたに委ねます」と静かに語った。祈りの言葉を唱えるうちに、彼の魂は肉体を離れていき、子供の頃より愛し続けた、全能の主のもとへと帰っていったのだった。1392年9月25日のことであった。セルギイがこの世を離れた時、素晴らしき香りが彼の庵を満たした。正義の人であったセルギイの顔は、その時、天国の祝福によって光り輝き、そのまわりを、弟子たちがすすり泣きながら取り囲んだのだった。

その後、弟子の主だった者たちは、ただちにモスクワへと向かうと、府主教キプリアンにセルギイの死を報告して、修道院の墓地に埋葬してほしいというセルギイの意思を伝えた。そしてそれと同時に、自分たちとしては、彼が建てた至聖三者教会の中にセルギイを埋葬したいと伝えて、その許可を求めた。府主教は彼らの願いを聞き入れて、セルギイを教会に埋葬する許可を与えた。弟子たちは修道院へ帰ると、讃美歌を唱えながら、尊父であり、教師であったセルギイの遺体を、至聖三者教会へと運んでいった。セルギイの葬儀の日には、近隣や遠方の村々から、多くの信者が訪れて、さらには諸侯や、貴族、聖職者、修道院長などの方々もやってこられた。彼らの全員は、その聖者の体に、それが駄目なら、せめて棺だけにでも、手で触れたいと願っえ、棺の近くまでやって来るのだった。僧たちはそれぞれの手に、ロウソクや、香炉、イコンを持ち、セルギイの遺体を教会の中に運び入れると、その場所に安置した。セルギイの遺体は、その後30年間もの間、埋葬された場所に安置されていたが、あることが原因となって、掘り起こされることになった。その頃、セルギイを敬愛するひとりの信者が、修道院の近くに住んでいたのだが、彼は祈りを捧げるために、しばしばセルギイのお墓を訪れていた。そんなある時、夕刻の祈りのあと、家で眠っていると、夢の中にセルギイが現れて「修道院長のニコンに、私の身体を土の中に放置するのはよくないと伝えなさい。そこには水が流れてくるのです」と語った。彼は驚いて飛び起きると、修道院長ニコンのもとに行き、自分の夢のことを伝えた。そこでニコンは、遺体の入った棺を掘り起こすよう決心して、仲間にそれを伝えた。聖者セルギイの遺体を掘り起こすという知らせは、あっという間に広がっていった。掘り起こす当日、聖職者や諸侯がその場に参加したが、その中には、セルギイが名づけ親となった、ドミトリイの息子たちの姿もあった。遺体が掘り起こされた時、喜ばしき香りが教会中に広がり、そこに現れたセルギイの身体と衣服は、棺が水に覆われていたにもかかわらず、今まさにそこに置かれたように、埋葬時とまったく変わることがなかったと伝えられている。これは1422年7月5日のことであった。現在、セルギイの遺体は不朽体として、至聖三者聖セルギイ修道院の、至聖三者大聖堂に収められており、この偉大な聖人の恩寵にあずかろうと、世界中から多くの信者が訪れている。

戻る