勇気の塔

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 このエフィカナリアの街では、男は20歳になって成人を迎えると、皆この塔に入らなければいけない。女性は入ることを免除されるが。
 この塔の中のことは、一度入ったものは決して他人に語ってはならないことになっている。しかし、これを読むあなたは、街とは関係がないので、語ることは許されるだろう。けれども、けっして街の人には語らないでいただきたい。僕が罰せられるから。

 勇気の塔とは、見ての通り、何の変哲もない、ぶっきらぼうな塔だ。表面は墨でも塗られたように真っ黒で、円錐状になったその先端は針のように尖っている。上のほうでは筒状の構造物が横に飛び出し、いつも炎をあげている。窓のようなものがあるのだが、外からは中の様子は全く伺えない。大きさは、普通の家より少し大きいくらいか。
 一人ずつ玄関の扉を開けて中に入ると、しばらくはまっすぐとトンネルのような廊下が続く。歩き続けると、やがて塔の本体のところに入る。太陽光線になれた目には中の様子は暗すぎて、しばらくは何も見えない。しかし時間とともに、あたりが見えるようになると、見かけと違って、えらく中が広いことに驚く。一体どういう構造になっているのだろうか?

 前方へ進んでいくと、やがて目の前に3つの扉が現れる。同じような形の扉だが、どういうわけか、それぞれの扉の上には違う言葉が、額縁の中に刻まれてあるのだ。
 一番左の扉の上には、次のような言葉が書いてある。「楽しき人生!ばら色の人生!蜜と酒に酔いしれよう!苦しみなど私の人生にはご免こうむりたい。」
 真ん中の扉の上にはこのような言葉だ。「私のこの人生はあたえられし人生。ただ黙々と働くのみ。」
 右端の扉の上にはこのようである。「人は深き谷を越えてこそ、美しき丘に憩える。苦しみよ、我が元に来たれ!」
 ここまできた者は、その扉のどれかを通らなければいけないことになっている。そして、一度扉をくぐったらならば、二度と後ろを振り返ってはいけないし、引き返して別の扉に入りなおすということも出来ないのだ。
 扉をくぐってしばらく歩いていくと、前方に明るいもう一つの扉が見えてくる。その扉の上には、また言葉が書いてある。左側の道を通る者には「怠け者」、真ん中は「勇気あるもの」、右側は「愚か者」という訳だ。(このことは実は幾人かにこっそりと聞いて確かめたのだ)そしてその扉をくぐると、もうそこは塔の外の世界である。しかし不思議なのは、入り口が3つあるのに、出口はたった一つしかないことだ。皆同じ扉から出てくる。不思議な塔である。
 たったそれだけ。外に出ても、とりわけ何が変わったわけでもない。出てくると皆で集まり、これからの人生を語り合いながら、成人のお祝いをするのである。

 私の選んだのはどの道か?それは右の「愚か者」の道であった。
 まことに僕のそれからの人生は、苦難と忍従に満ちたものだった。僕がその道を選んだのは、そのような苦しみの中でこそ、人には得られない何よりも得がたいものが得られるのではないかと思ったからなのだが。しかし、今となればそれは間違いだったことを知っている。若気の至りというものか。だが、そのことを知った今は、僕は人生について深く知るところとなり、充実した毎日を送っている。今思うことは、人生は、ただ与えられたものとして受け止め、一生懸命、何一つ不満を言わずに生きていくべきものなのだ。
 結局どのような道を選んでも、人生は、自らの過ちに気づけば、いつかやり直しができるということかもしれない。そのことを教えるために塔はあるのだろうか?

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