赤い花

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 この街から出て行く人は皆、街外れにポツンと立つこの駅から旅立っていく。駅の周りは全くひっそりとしているが、季節になると色とりどりの花が咲き乱れて、一人訪れる者の心を和ませてくれる。

 僕もこの駅から旅立った。もう、随分と昔の話だが。二度とこの街には帰ってこないだろうと、後ろも振り向かずに家を飛び出したのだ。僕の眼には、この街は古臭い、醜悪なものにしか見えなかったから。

 この駅には年老いた駅員が一人いる。駅員であり、かつ駅長でもある。あまりやって来る人もいないので、一人でも手持ち無沙汰な位なのだ。時間があれば、(といってもありすぎるくらいあるのだが)駅の横の自家製植物園に咲き乱れる、木や草花の世話をしている。こんな植物の世話をして何が面白いんだい?と街の人が聞くと、いや、こんな草花だって、人間以上の働きをするもんさ、と笑って答える。毎年毎年、草花は増えていき、時期が来ると、美しい花を咲かせ、果物もかごに一杯あふれるように採れるのだ。
 その朝、荷物を抱えて駅にやって来た僕を見て、駅長さんは、「おや、この街を出て行くのかい?」と声をかけた。別に悲しむ風でもなく、祝う風でもなく、君のことなどどうでもいいさ、という感じだ。「ああ、この街には随分世話になったよ、長い間。でも、そろそろ出て行く頃かな、と思ってね。」そう答える僕に、駅長さんは少し待つように言うと、植物園の奥に消えていき、しばらくすると、両手で包むようにして持ってきたものがある。「これは今採れたばかりの、果物の種だ。都会で寂しくなったら育ててみな。」という。
 駅を出て行く電車の窓からは、街も駅長も、思い出とともに何もかも小さくなっていくのが見え、やがて電車は真っ暗なトンネルの中に入っていった。

 一人暮らしの都会のアパートでは、夜には何もすることはない。話し相手もいない僕は、レコードを聞いたり、本の中の世界で時間をつぶしたものだった。
 そんなある日の夜、ふと、カバンの奥にしまってあった、駅長さんのくれた例の種を思い出した。一体何の種だろう?好奇心にかられて、僕はそれを小さな鉢に植えてみた。水をあげながら育てると、一ヶ月して、その種は小さな黄緑色の芽を出した。
 一日一日、徐々にそれは大きくなり、新しい葉が次々に出てきて、1年経つと、1メートルほどの高さになった。けれども、まだ実は成らない。2年経ち、3年経つうちに、沈んでいく僕の心とは裏腹に、木はどんどん大きくなっていった。5年が経って、木がアパートの天井に届くくらいに成長した時、やっと真っ赤な花が咲き、やがて真っ赤な果実を実らせた。
 狭いアパートの中に果実の匂いが満ちていく。もぎ取って口にほおばった時、懐かしいふるさとの味がした。そうだ、もう、帰る時がきたのだ。

 駅に再び降り立った僕は、何か少し照れくさくて恥ずかしい気持ちだった。けれども街は昔と同じように、やあ、帰ってきたな、おかえり、という感じ。出迎えた駅長さんは、少し年をとっていたが、「おや、お帰りかい。」と、またまた、そっけなく、嬉しそうでもなく、どうでもいいさというように、僕を出迎えた。帰ってきたのは当たり前という様子だ。僕は持ち帰ったカバン一杯の果物を、駅長さんにお土産として渡した。駅長さんは嬉しそうに受け取り、「やあ、有難う。これでまた植物園は豊かになるよ。」と、さっそく裏の植物園に植えにいかれた。

 例の木は、今でも都会のあのアパートの中にあるのだろう。今はおそらくあの部屋の中は木が生い茂り、光も射さない、鬱蒼としたジャングルのようになっているような気がする。大蛇がうごめき、トカゲが息を潜め、フクロウがじっと木の上に止まっている。そのなかで、あの木だけが、真っ赤な実を実らせて、美しく生きつづけているような、そんな気がするのだ。

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