楽しいインド旅行

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五千年の歴史を誇るアジアの大国、インドに憧れる人は多いだろう。かくいう私も、深遠なる東洋思想の原点ともいえる、魅惑の国インドに惹かれて、本を読み漁ったりしたものだが、当然のごとく、一度はこの目でその素晴らしさを見たいと思い、今から15年ほど前、真夜中のインディラ・ガンディー国際空港に降り立ったのだった。

インド旅行の解説書にいわく、「インド初心者は必ず騙される」という情報を、山のように頭の中に放り込み、警戒心まるだしで税関を通り、空港のゲートを出ると、その左右には、ずらりと、旅行者の氏名を記したプラカードを掲げた現地の案内人達が立っていた。はて、私のガイドは何処だろうと探したものの、どこにも見当たらず、仕方なしにうろうろしていると、その中の一人が親切そうに、「あんたのガイドいないのかい? あそこにホテルの制服着た人がいるから、彼じゃないのかい?」と、指さす方を見ると、ホテルマンのような人がいるので近づき、「あなた、○○観光の人ですよね? 私のガイドですか?」と聞くと、手元にあるボードを覗き込んでこっくりとうなずく。じゃあ、行きましょうかと言うものの、何だか口の中でウニャウニャ言って動こうとしない。そのうち、現地人が一人減り、二人減り、とうとう私一人だけが空港ロビーに、そのホテルマンと残ることになった。ようやく彼はおもむろに出口へと歩き出すので、私もその後に従い、警察官詰所の前を黙って通過する彼の後をついて外に出た。月明かりの下、もはや深夜となった広場は冷え冷えとしており、夏のインドと言えども、少し涼しげであった。ホテルマンの方を見ると、彼は携帯電話を取り出し、あちらの言葉で何やら喋っている。やがて彼が言うには、「あなた、ホテルにお金払ってないでしょ? 先に払わなけりゃ泊めるわけにいかないと、ホテルのマネージャが言ってるよ」。ええっ?「私、日本で予約した時に払ってるんですけど」、「いや、こちらには届いていないんだ、ここで10,000ルピー払ってくださいよ、さあ」と手を差し出してくる。ここまで来て、ようやく私も、あああ、こいつ偽物だ!と気づき、「お前、そこで待っていろよ! 警察呼ぶからな!」と凄んで空港ロビーに戻ると、そこには本当の私のガイドが立っていた。「遅れてすみません。渋滞してたもんで」なんて、あなた、そんなこと言われても、あのままついて行ったら、私、どうなったと思うんですかと、まあ、これも経験の一つかと、仕方なく自分で納得したのだった。

インドでは、まるで家でくつろぐように、路上で寝ている人を多く見かけた。それも普通のおばあさんが。あまりにも暑いので、コンクリートの上で寝るほうが、ひんやりとして心地よいのだろう。また大通りを走っている車は、そのほとんどがオートリキシャといい、テクテクと走る電動三輪車のようなものなので、はねられても絶対死なないだろうと思うくらいだ、が、信号はあるようでなくて、車が疾走する通りの向こう側に渡るのは、インド初心者の私には肝が冷えあがって、とてもじゃないが出来なかった。

翌日からはガイドと一緒に聖地巡礼。あちこちの寺院に参詣するが、その前に、彼いわく、「あなた、仕事のついでに観光に来たということにしとくね。観光客としてきたとなると、たくさんお布施要求されるからね」ふーん、なんでやろ、よくわからんがそういうことらしい。そうしてシバ神系の寺院の境内に入ったところ、そんな私を見るなり、一人の坊さんが「あっ!」というような顔をして、すぐさま寺院の中へと戻っていく。しばらくして4~5人の坊さんと一緒に颯爽と中から現れるが、ここでガイドの活躍となり、この人、ビジネスのついでに来ただけですから、と彼が説明してくれたおかげで、私もお金をむしりとられずにすんだのだった。ちなみに、別の機会にインドを訪れた際、ガイドと一緒に寺院を巡ったのだが、あちこちで喜捨する私を見て、彼が苦々しそうにこう聞いてくる。「あんた、領収書もらってる?」、「え?」、「そうだよ。領収書。お布施をもらうと、寺院は領収書を渡すことになってるの。それ、法律で決まってるからね」、「そんなもの、誰もくれませんでしたけど」、「あーあ、あの坊主ら、全部ねこばばしてるんだよ!」。あああ、なんという罰当たりな!これでは末法の世と言われても仕方あるまい。まあ、坊さんも生活かかっているから、大変なんだろうけどね。ある寺院では、門のところに坊さんがじっと座りこみ、観光客がくるのを待ちかまえ、やってくるのを見るなり、こちらへこいとばかりに手招きをする。やばいなと思って私は入らなかったが、あの光景はまるで、そう、あたかも、キャバクラの客引きと同じではないかと思わされたものだった。

こんなことを書いていると、インドの坊さんはすべて悪いように聞こえるが、そんなことはありません。どんな世界であっても、偉い人は人前に出ることなく、隠れて熱心に修行しているものです。実際、街を歩いている巡礼僧の中には、人徳卑しからぬ、立派な顔相をした人がいるが、大学教授や会社社長であったような人の中にも、定年後はすべてを放棄して、ヒンドゥー教の教えのまま、聖地を巡礼して回る人がいるそうだ。

私が今回インドに来た目的は、ヒンドゥー教関連の聖地を巡ることにあり、その後、クルクシェートラ、マトゥラー、ブリンダーヴァン、ゴーヴァルダンと、親切な現地の人のおかげで、トラブルにも遭うことなく、またお腹をくだすこともなく、順調に巡ることができた。

さて、聖地マトゥラーから首都のデリーに帰るには、電車に乗らなければならない。だがインドでは予約なしだと、二等車両にしか乗れない。そんなことはつゆと知らなかった私は、切符を手にホームの中をうろうろしていると、親切そうな若いインド人が、そんな私を見て声をかけてくれた。ちなみに、この人は見かけどおり、本当に親切な人だった。車両に乗り込むなり、「君、何で予約しなかったんだい?」、「うーん、邪魔くさいからかなあ」、「二等車って、あのねえ、君、どんなんか、凄いよ、一度見てみる?」、「いや、やめとくよ」。どうやら私たちが乗り込んだのは一等車のようだった。つまり、二等車の切符で一等車。しばらくすると頭の禿げた車掌がやってきて、何やら彼ときつい口調で喋っている。車掌はこちらを睨みながら、やがて次の車両へと消えていった。「あんた、600ルピーほど持ってるか? ややこしくなったら、お金渡さんとやばいよ」。えええ?と私がうろたえていると、いかつい体をした警察官がその場にやってきた。この警官、どうやら車掌とぐるらしく、私を見るなり胸倉をつかむと、壁ドン!とばかりに、私を座席へと突き飛ばした。「おい、お前、パスポート見せろ!」と凄まれ、その後、怪しいものを持っていないかとばかりに、身体チェックをされる。そんな私の窮状を見るなり、彼は直ちに駆けつけてくれて、何やら警官と言い合っていた。しばらくして警官はあきらめたのか、別の車両へと移っていった。「なんやのん、あの警官?」、「あの警官、賄賂要求してたんや、危ないとこやったな」、「警官が賄賂取るんですか?」、「ああ、でも、この人は日本政府の偉いさんなんやと言ったら、信じて、あきらめよった。あいつら権威に弱いから、上層部にばれたらえらいことになると思ったんやろ」。しかし警官までがゆすりを行うなんて、何という国だろうか。まあ日本でも一昔前はそんなものだったから、同じだろうかなあ。

帰国までに時間があるのでデリーの動物園を見学した。小型バスのような車に乗り、現地の人たちと回っていると、非常に大きな象がいたので、感動のあまり、「わあ、あの象大きいですね!」と周りの人に語りかけたが、みんな知らん顔である。よく考えれば、あたりまえのことだが、インドでは象なんて珍しくないのだ。しかし、あまりにも暑いので、一緒にいたインド人のおじさんに、「暑いですよね!」と聞くと、「いやあ、ほんと、大変ですよ」と額の汗をハンカチで拭いている。「インド人でも、やっぱり暑く感じるんですか?」、「そりゃあ、あなた、暑いものは暑いですよ」と。まあ、そうだろう、だがその会話が、何だかおかしく思われたものだ。

外に出て、空港までのリキシャを探す。途中に有名なバザールがあるので、そこに立ち寄りたいと思い、親切そうなインド人に、「バザールまで行きたいんだけど」と頼むと、「ガッテンだ」とばかりに、近くのオートリキシャに呼びかけてくれた。どうやらこの人、このあたりのオートリキシャを取り仕切る親方のようで、命令口調でドライバーにしゃべりかけている。おまけに、私が後部座席に乗り込むなり、彼までが助手席に入り込んでくるではないか。しばらく走っていると、「あのバザール、今日は休日で閉まってるんだよ」と。ええ?「でも、ガイドブックには今日は開いてると書いてますけど」、「いや、今日は休みなんだ。代わりに、おいらの知ってるデパートに連れてってやるよ」と。さらに「あんたの横に座ってもいいかい?」と聞いてくるが、横に座られると出口を塞がれるので「あかん」ときっぱり断る。嫌な予感がむくむくと沸いてくる。テクテクと走るうちに、だんだんと人気のない裏通りに入っていく。これって、かなりやばい状況じゃん。「あんた日本人かい?」、「ああ」、「日本では何してるんだい?」。数日の経験でインド人は権威に弱いと学んだので、咄嗟に「officerだよ」と答えると、ギョッとした顔になり、「何のofficerなんだい?」と聞いてくるので、「police officer(警察官)だよ」と返答すると、急に顔色が変わり、自分の肩のあたりをパンパン叩き、何やらわめいている。ははん、これは階級のことを聞いているのだろうと思い、「インドでは何というかしらんが、俺の下にはね、部下が千人ぐらいいるんだよ」、「○×▽◎×●!!」。パニクるおっさん。「本当はね、俺、日本政府の指令で、インドの裏世界の実情を探ってるんだよ」、「●×●●▽!!!」、「あんた、ライフル銃撃ったことあるかい?」、「ええっ、滅相もねえです、あるわけないでしょ!」。私も撃ったことなんか無いよ。「面白いよ。こうやって、ほら、肩に抱えて、ズドン!!とね」、「ヒイイッ!」、「と、反動がまたこれ凄いんだな。何回かやくざと撃ちあいをしたもんだよ、ヒャッ、ヒャッ、ヒャッ」。今や子犬のようにおとなしくなった親父さんを見て、インド人は何て純情なんだろう、こんな嘘を素直に信じてくれるなんて、と思っていると、やがてオートリキシャは暗い橋の下、本物のライフル銃!を構えた門番が二人立つ店の入り口へとやって来た。誰が中になんか入るもんかい、生きて帰れないかもしれんやろ、と恐ろしい形相で親父を睨みつけると、あきらめたのか、しずしずと車へ戻り、ようやくバザールへと向かってくれたのだった。「旦那が行きたいって言ったんでさあ」、「アホかい、俺はそんなこと言ってないわ。お前が強制したんだよ」、「違いまさあ、旦那も同意したじゃありませんか」、「なんで俺が同意するねん。日本に帰国したら、お前のこと政府に報告したるからな!」と、バザールに着くと、今日もそこは開店、場内は満員御礼の状態。ドライバーと親父の二人をその場に立たせて、「あんたら、そこにちゃんと並びなよ、ほら、写真撮ったるからな」。はい、チーズ。ひきつったおっさんの顔は、なかなか間抜けており、笑ってしまうのだった。

バザールでは、インド各地の民芸品を売っており、幾つかをお土産として買う。インドでは焼きそばが流行っているらしく、「チョーメン」とか言って、みな、おいしそうに食べていた。会場を後にして、空港までのリキシャを探す。先ほどの経験で懲りたので、会場入り口から少し離れたところにいた、気の弱そうな運転手を選び、「空港までよろしく」と乗り込んだ。少し走ると、スラムのような住宅街を通過する、が、途中でリキシャを止めたなり、運転手は動こうとしない。「早く行って欲しいんだけれど」というも、無言で止まったままである。しばらくすると、窓際に、乳呑児を抱えた女性がやってきて、「この子にミルク代をください!」と悲しげに頼み込む。うむ、しかたないか、と100ルピーほどを手渡し、嬉しそうに帰っていくのを見送った。しばらくすると別の女性がやってきて、見ると同じように両手に乳呑児を抱えている。「どうかご慈悲を」。そうこうするうちに、子供たちがうわーっと押し寄せ、座席の横のバッグに手を伸ばしてくる。「早く車を出してください、運転手さん!」と叫ぶと、ようやく彼は車を発進してくれた。これって、高度に計画化されたお金巻き上げシステムだったのですね。おまけに、今思い返すと、二人の乳呑児はたぶん同じ子供だったと思われる。

短かったとはいえ、充実したインド旅行だった。ほっと一息ついて、空港ロビーで土産物屋を巡っていると、無邪気な日本の若い女性たちが、嬉しそうに買い物をしている。ああいうのが騙されるのですね、馬鹿な日本人だなあ、と店の主人に語りかけると、彼も渋い顔をして相槌を打っている。幾つか土産を買わなければ、それにインドルピーも残ってるし、と思い、「5,000ルピーほどあるんだけど、お土産見繕ってくれない?」と頼むと、嬉しそうに、「わかりました」と、次々と商品を選んでくれた。お金を払って休憩していると、お茶を手に持ちやってきて、「どうかこれ飲んでください」と、まあ、何て親切なインド人なんだろう、と、最後の最後になって感動してしまったのだった。しかしながら、ああ、しかしながら、帰国して商品のチェックをしてみると…ああああああ!

インドに行った旅行者は、非常に好きになる人と、二度と行くもんかと思う人の二通りに分かれるという。私はそれから3回ほど出かけたので、たぶん前者のほうだったのだろう。ちなみに、いろいろと書きましたが、現地の人はほとんどが素朴でいい人です。日本人と違って、生活の中に宗教が深く浸透しており、それゆえ、正しく生きねばという潜在的な思いが、日常生活を規制しているのでしょう。日本でも昔は、悪いことをすれば地獄に落ちる、閻魔様に舌を抜かれるといって子供を教育したものですが、今では金もうけばかりが正当化され、子供の教育も将来の経済のためでしかなく、道徳なんてどこに行ったのだろうかと、嘆かわしく思われるばかりです。