日本人で仏教に関心を持つものにとっては、人生の究極の目的は悟りを得ることで、その理想を実現した代表者が、釈尊であるようです。それゆえ仏教を語るならば、座って何か悟りを得なければ、その資格がないような雰囲気があります。日本では休日になると、趣味のように座禅を組む人が多くおり、座って雑念を追い払って、心を空の状態にすることが、修行の目的であると思われています。実際に実践してみると分かりますが、たとえ座って瞑想したとしても、雑念が次々と表れて、知らないうちに別のことを考えています。もし雑念を完全になくしたいなら、熟睡すればいいだけのように思います。雑念を無くすことが修行の目的なら、またそのような空の心境が悟りというなら、仏教でいう悟りは、何と無味乾燥であろうかと思います。そしてそのような心の状態が続けれるかと言えば、まず不可能でしょう。日常生活においては、仕事から家事まで、するべきことが次々と現れて、そんな空の心境など、すぐに吹き飛んでしまいます。空の状態が悟りなら、愛とか慈悲の思いはどうなるのでしょう。これでは、人生の目的はなんであるのか、不明になってしまいます。仏教者の中には、すべてのものは、本当は存在せず、すべては無であるという人がいますが、そのような思考は、空が最終目的だと考えるところに原因があるようです。さらに言うなら、そのような空の心境になることは、まずありえないでしょう。なぜなら、自分という自我の思いを滅却するなら、自分は無になるのではなく、そこには、自分を自覚している自分、言い換えれば、無という状態を認識している自分が、なお存在しており、それこそが仏性の自分であることに気づくからです。つまり真に空の心境になるなら、その人は仏性を顕現させたことになり、そこにあるのは無ではなくて、真我(神我)ともいうべき自分です。言い換えれば、仏教の究極は無であるという人は、本当は何も悟っていないことになります。
では釈尊は、いかにして悟りを開かれ、そしてそれはどのようなものだったのか。堀田和成先生はこれについて次のように言っておられます。釈尊が悟りを開いたのは、この世で6年間修行した結果ではなく、前世で無数の献身奉仕の人生を送ってきた結果であると。一説によると、釈尊は425回もの転生を、奉仕一筋に過ごされたそうです。それはカルマによる輪廻転生ではなく、そのように様々な立場で生きることで、人間というものを理解して、人々に奉仕されたとのことです。転生の中には、王様、僧侶、商人、また夜盗としての人生もあり、さらには、獅子、象、孔雀、白鳥、蜥蜴、蛇などにも生まれてきて、生き物の気持ち、悲しみを理解していったのです。そうすると釈尊は人類への慈悲のために、自分の身を捨てて生きてこられたことになります。また先生のお話では、釈尊は大梵天の役割を7回されているとのことです。大梵天とは主の命に応じて全宇宙の創造行為を行われた方です。つまりヒンドゥー教におけるブラフマー神のことです。そのような偉大な魂と我々の間には、乗り越えることができない壁が存在しています。それゆえ、そのような我々が少しばかり座っても、悟ることは不可能なはずです。先生はいつも「お釈迦様の真似はできませんよ」と言われます。もし真似ようとするなら、「必ず悪魔に魅入られて、自分は悟ったと思ったとたん、廃人になっている」とのことです。また釈尊が悟りを得たのは、悟ろうという思いを捨てたからだと言われます。つまり悟ろうという思いは、結局は欲であることに、釈尊は気づかれて、また衰弱した自分の身体を見て、このままでは悟る前に死んでしまうと、悟りへの執念を捨てた結果、悟りを得たそうです。最初からその欲を持たねばいいではないかと思いますが、神は求める者に応じて与えられる、というのが大原則で、それゆえはじめから求めなければ何も与えられません。けれどもその願いは、執着を捨てた時に与えられる、ということになります。つまり釈尊の悟りは、自分で得たというよりも、その心境に応じて与えられたと言えるでしょう。さらに釈尊が6年間厳しい肉体行をされたのは、王子として生活する間、愛欲の日々を送った、その罪への贖罪として、自らにそれら苦行を課されたそうです。
釈尊は当初、神を否定して、内なる自己(仏性、アートマン)のみを頼り、それだけに専念して、悟りを得ようと修行されました。このことの裏には、当時のバラモン階級が神の名のもとに横暴をきわめ、それを見た若い釈尊は正義感に駆られて、神など頼らずに悟ろうと思われたそうです。しかしこれは釈尊であってこそできたことで、普通の人は、このようなことをすれば必ず失敗します。常人にとっては、内なる自己(仏性)はカルマの層に覆われて、ほとんど見えません。悟ろうとしても必ずその層に突き当たり、自滅することになります。また我々が悟りたいと思うのは、純粋な思いではなく、欲望になっていることが多く、つまりそれは自己本位な思いでしょう。悟りたいという思いは、天国に行きたいという思いと同じく、幸福を望む思いのようですが、本来の道とは真逆の方向にあります。本来の道とは、自分という思いを離れたところにあり、それは人への奉仕、神への奉仕でしかありません。悟りを開いた釈尊の前に梵天と帝釈天が現れて、いまや死を決意した彼に、悟った教えを人々に説くよう説得します。目の前に現れたそれらの方々を見て、神を否定していた自分の考えは間違っていたと、釈尊は気づかれたそうです。もし悟りが人生の目的なら、釈尊の人生はそこで終わっていたはずです。けれども釈尊はその2人の懇願を聞き入れ、人生の目的は奉仕にあると知られて、それから40数年ものあいだ、人々への伝道という形で、奉仕に専念されたのでした。
仏教は釈尊がいて初めて存在しており、釈尊から離れて仏法が存在することはありません。完全に自力的努力で悟った(それは与えられえたものですが)のは、釈尊であったからこそ可能であり、それを無視して、釈尊ができるのなら自分もできる、釈尊に頼らずに自分の仏性を悟る、というのは無知そのものです。釈尊は自分を犠牲にして、我々のために悟りを得られたとも言えます。それゆえ、我々は釈尊の真似などせずに、その教えられることを行えばよいのです。そうすることで我々も悟りに至ることが可能となります。仏法を説いたのは釈尊であり、それゆえ我々は釈尊を信じて、その教えを実践すればよいのです。釈尊の最後の言葉として、困惑するアーナンダに言われた、次のような有名な言葉があります。「自らを拠り所とし、法を拠り所とせよ」。しかしこの言葉は曲解されてきたようで、これは(悟っていない)自分だけを頼り、仏法だけを頼って、修行に励め、と言う意味ではなく、ここでの自らとは、万物のアートマンとしての自己であり、これを言い換えるなら「自分はもう死んでいくが、霊としての私(釈尊)はあなたの心の中にいる。私が説いた法の中に私はいる。その内なる仏である私を信じ、私の教えを信じて、努力していきなさい」となります。しかしながら、釈尊が自力的苦行によって悟ったことから、この言葉は誤解され、ほぼ不可能と言える、完全な自力行によって仏法を修めよ、という趣旨だと、理解されてきたようです。