堀田和成先生と「神言の書」

偕和會の神言の書
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偕和會の会員は、たぶん全員が神言の書を携帯しています。本当はお守りと考えるべきではないのですが、お守りになっている人が多いようです。本当は、たえず神を忘れないよう、神理の言葉を心に銘記する、そのために携行するようです。知人が、中に何が書かれているか見たいと、手渡した神言の書を開けていたので、笑って見ていると、慌てて、「え、中、見たらだめなの? 死んだおばあちゃん、お守りの中を開けてみたら罰が当たるて言ってた!」というので、面白くなり、別に罰なんか当たらんよと返事しました。

神言の書の中には「道標」という、祈祷文のような文章が載せられています。これは先生が伝道を始めた当初、ほぼ一気に書きあげたそうで、正道の教えのエッセンスともされます。それに続いて、正道の柱の一つである、三戒(正しい想念、正しい言葉、正しい行為)についての言葉と解説があり、次に、正道のもう一つの柱である、正道の祈り、つまり「虚心の祈り」の言葉と解説が書かれています。そして次に「縁者送別の言葉」が書かれていますが、これは亡くなった人に対して、臨終の場やお葬式で唱える言葉です。最後に「ひびき」がありますが、これは警句のような言葉を集めたものです。

神言の書には不思議な力があります。北海道のある人は、葬式の帰りに車に乗っていたところ、雪道ですべって、大型トレーラーに巻き込まれてしまい、車は大破してしまったそうです。周りで見ていた人々は即死と思ったそうですが、不思議なことに、中からその人が歩いて出てきたので、みんなは非常に驚いたそうです。このような奇跡はどうして起こるかと言うと、人間の魂は非常に小さくて、髪の毛先の1万分の1の大きさと言われています。そしてそのような魂を持つ天使は、原子の世界にも入り込んで物質の性質を変えてしまい、鋼鉄であってもゴムのようにすることで、そのような奇跡として現れるそうです。またある人は病気になった時に、先生から「神言の書を患部に当てて祈ってください」と言われ、そのようにしたところ、治癒してしまったそうです。さらにコップに水を入れて、その上に神言の書を載せ、一晩おいておくと、水の性質が変わって、とてもおいしい水になります。また神言の書に和紙をはさんでおき、それを腰に貼ると、腰痛が治るとも言われました。効果は一日しか無いようですが。ある女性は休日にひどい痔になり、痛くてたまらなくなったものの、休日なので病院は開いておらず、しかたなく「神様、お許しください」といって、神言の書を股にはさみ、そのまま寝てしまったのですが、翌朝になると痔の痛みはすっかり消えてしまったそうです。またある子供は、学校の帰り道に自転車で転んでけがをしたため、母親が心配して神言の書を持たせたところ、その数日後に、今度は自動車に接触してしまい、自転車は乗れないほどに壊れたのですが、本人はかすり傷一つなく助かったそうです。さらにある人は、ボランティア精神で東南アジアに出かけたところ、現地では毎日のように幽霊が出没して、とても寝られずに困っていたため、その連絡を受けた両親は、神言の書を現地に送ったところ、そのような怪奇現象はピタリと収まったそうです。また埋葬の時には、骨壺の中に神言を入れるといいとも言われます。このほかにも不思議な話はたくさんありますが、御札の始まりはこんなことなのかな、と思ったりします。

先生は「神言の書を身に着けてください。必ず皆さんを守ってくれます」と言われます。では、その守る力はどこから来るのか、と疑問に思います。これに関してこんな話がありました。ある人が何かの拍子に、神言の書を冷蔵庫に入れてしまったのですが、そのあと先生との会議があり、みなで集まった際に、先生は「なんだか寒いですね」と言われて、その人は驚いたそうです。そうすると、先生と神言の書は一本の線でつながっているように思われます。また先生は「神言の書は皆さんを守ってくれます。けれども私には効果がないんです」と言われました。ある人がこのことを不思議に思い、色々と考えた末に、こう聞いたそうです。「先生自身から光が出ている、つまり先生が光を与えているからですか?」と。それに対して、そばにいた先生の奥様が「そうなんです」と言われたとのことです。

神言の書には色々と不思議なことがありますが、神言の書には次のような注意書きの紙が同封されています。「こうした証しは神様を信じ、虚心の祈りと三つの戒めの正道の生活をつづけるなかに、本書はいわば光の媒体となり、その人の信仰に応じて、正道の証しとして示されるものです。したがって、こうした正道の生活の裏付けを欠いたまま、これを単なるお護りとして用いても、何らその用をなさないばかりか、かえって意図したところと逆の効果が現れることもございます」確かに、持っているだけで難を免れるなら、どこかで誰かがその埋め合わせをしていることになり、世の中のバランスが狂ってしまいますね。先生自身も「神様を信じていれば悪いことはおこらず、良いことしかないと考えている人には、証しは与えられません」と警告されています。ですからこの神言の書は、会員として勉強している人だけが持つべきものでしょう。また取り扱いには最大限の注意を払うべきで、古くなって使えなくなったからといって、ゴミ箱に捨てたりしないで、火で燃やしてください、と言っておられました。もしこのような原則が守られないなら、世間にいくらでもある、御札と同じになってしまうでしょう。神社の御札などは、縁起かつぎが中心で、効果があるかは疑問です。神言の書も御札みたいにとらえると、何の力も示さないばかりか、かえって災いが起こるかもしれません。その時になって神を呪っても、自業自得と言わざるを得ないでしょう。

ユダヤ教の男子は、神に祈るときに、テフィリンという、聖句が中に入った小箱を頭と手に巻くそうですが、それとなんだか似ているなあと思わされます。偕和會の神殿も、ユダヤ教の神殿と似たようなところがあり、不思議に思いますが、先生自身、ユダヤの人たちには親近感を持っています、と言っておられました。どういう意味なのかなあ、と、時々、考えたりしてしまいます。