肉食について

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正道の教えでは食事に関して厳しい制限はありません。キリスト教も仏教も同じように、食事に関して厳しくありません。仏教においては、出家者は肉食がダメですが、在家の人はそうでもないようです。お釈迦様の弟子に舎利弗という偉い人がいたのですが、その方は体が弱かったために、お釈迦様は、本来仏教徒には禁じられているニンニクを、その弟子に勧められたそうです。信仰者は原則に縛られることなく、何が最重要かを考え、行動すべきということでしょう。またキリスト教においても食事にあまり制限はなく、イエス様はお酒も飲まれたそうです。ユダヤ教徒はイエス様が金貸しや売春婦と席を共にして、手を洗うことなく食事をするのを見て、イエスは戒律を守らず神を汚していると非難しました。けれどもイエス様にとっては、戒律よりも人間の救いの方が重要であったわけです。堀田和成先生は、タバコは吸われますが、お酒は駄目でした。だいぶ昔、ある人が先生の家に招待されて、すき焼きをご馳走になったのですが、先生が牛肉を用意されたのを見て、先生も肉を食べるのかと思ったそうです。

ただ正道においては、できれば肉食は控えるべきとされます。人間は本来、菜食のみで生きていけたのですが、体質が変化した結果、現在では、特に欧米人においては、適度の肉を食べないと体が維持できないようです。日本人は欧米人と比べると小腸が長いので、肉を食べるといろんな病気にかかりやすくなっています。また食事の内容に関していうと、あまり美味しいものは避けるべきで、粗食に甘んじるのが正しいそうです。堀田先生は記者をしていた頃に、時々パーティに参加されたのですが、そんな時、ここぞとばかりに美味しいものを食べたものの、すべて下痢してしまい、その結果、私にはこういうものは駄目だと分かったと言っておられました。また先生は食事をするのがとても早くて、食事を楽しむということはない感じです。手っ取り早くカロリーをとるのに便利だと、チョコレートを携行されていると聞いたことがあります。ある時、北海道で講演会があり、それが終わった後で、評判のラーメン店に招待されたそうですが、何がおいしいのかよくわからないと言っておられました。またある会員は、先生が泊まるホテルの料理長をされていて、明日、先生にこのように特別料理を作って提供するのですと、嬉しそうに、豪華なメニューを見せてくれました。堀田先生は、もちろんその厚意に感謝されたでしょうが、本音ではどう思っておられたのかなと思います。

バガヴァット・ギーターには次のように書かれています。「神に供えてから食する善人は、あらゆる罪から解放されよう。しかし自分の味覚にのみに調理する者は罪垢を食べる」(3-13)、「供犠を真に理解する者は、食を節して身心を清め、供物の残饌を味わいつつ、万古不易のブラフマンに赴く」(4-30)つまり食べ物を食べる場合には、その味覚を楽しむのではなく、栄養を補うと考えて摂るのが正しいとされます。さらにこのようにも書かれています。「もし人がバクティをもって、葉、花、果実、水をわたしに供えるならば、わたしはそれを受け入れる」(9-26)古来よりの教えでは、主の神に捧げてよいのは、穀物、野菜、果物、水、牛乳、花とされており、それゆえ神を信じる者は、このことを基準に自分の食生活を考えるべきと言えます。

肉食について先生が注意点を書かれてから、ある人は肉食をやめようと決意したところ、先生と喫茶店に行く機会があったそうです。席に座るなり、先生はカツサンドを注文されたので、あれ、先生も肉を食べるのかなと思っていると「あなた、これ食べなさい」と言われたそうです。原則はあくまで原則であり、正道はそんなに堅苦しくありません。厳格に食事の規則を守ったからと言って、魂が向上するわけではありません。与えられたものを、感謝して食べることが重要ということです。マハーバーラタの中にも、客人を歓待するのに、肉を提供したブラーフマナ(僧侶)の話があります。感謝して食べたなら、それらの生き物は、今度生まれてくる時には、人間として生まれ変わる可能性があります。反対に、感謝できない人は、動物に生まれてくるかもしれません。実際の話、動物として生まれ変わる人間は、けっこういるようです。動物は本質的に自己中心的で、自分の身を守って維持することに必死です。助け合ったり、励まし合う動物はめったにいません。そうするとそのような生き方をしている人は、動物に生まれ変わってもおかしくないとなります。動物を平気で食べてきた人は、今度は人間に食べられる動物になるということです。

旧約聖書の中でモーゼは、豚肉を食べてはいけない、地を這うものを食べてはいけない、などの戒律を言われましたが、最初はどうやら衛生面を配慮して言われたようです。当時は肉を生で食べることが多かったので、それらの生肉を食べると、寄生虫や雑菌によって病気になる人が多くいたからのようです。またすべての生き物には魂が宿っていますが、蛇やトカゲなど、それら下等な生き物の身体には、下等な魂が宿っており、それらを食べると、そのような魂が子供として生まれることがあるそうで、そのようなことを考慮して、それらの戒律が定められたようです。