堀田和成先生と全国例大祭

堀田和成先生
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堀田和成先生が存命中は、毎年7月の終わり頃に、2泊3日の全国研修会が開かれました。そのほとんどは熱海で開催されましたが、一部は北海道と琵琶湖畔でも開かれました。一年のその時期を選ばれたのは、会員にとっては夏季休暇などで休みが取りやすいからですが、のちになり先生自身が気づかれたことは、ちょうどヘブルの民がエジプトを逃れてシナイ山の麓にたどり着き、十戒を示されたのが6月中頃で、その後、民族として再生の道を歩み始めたのが7月ごろだったということです。さらにその後クリシュナの存在を悟られてから、その誕生祭(クリシュナ・ジャンマシュタミー)が8月から9月に行われる(年によって変わる)ことを知られて、それら偶然の一致に先生自身が驚かれたそうです。偕和會そのものが、先生の意思とは関係なく、天意によるものとして発足したのですが、例大祭も同じようにあの世の計画として始まったものだと、先生は言っておられました。

研修会はのちに例大祭と名称が変わりますが、内容は少しも変わりません。例大祭と言っても、お祭りのように歌ったり踊ったりはしません。「祭」と名付けられた意味は、例大祭の場は、神理を学ぶだけでなく、神を賛美することが重要だからです。我々の生きる毎日が勉強なわけですが、その根本には、神を賛美する、神に仕えるという姿勢があるべきで、それがなければ、哲学のようになってしまい、もはや神理の光は消えてしまいます。先生はいつかそのうち、神を賛美する、祝祭日を設けたいと言っておられましたが、立ち消えになりました。けれども将来において、偕和會としてそのような日が設けられるかもしれません。

例大祭では先生による90分の講話が2回あり、その間に小グループの集会が2回行われます。私自身、グループでの講師の役を受けたことがあり、その時の体験ですが、午前中に小集会で自分の話した内容が、午後になり先生が講話の中で語られるのと一部同じだったことがあり、とても驚きました。先生によると、人によっては、守護霊があらかじめ講演の内容を教えてくれることもあるそうです。私は教えられたというよりも、自分で思うままにしゃべっただけで、それがたまたま先生の話と同じだっただけです。2日目の夜には質疑応答のコーナーがあって、そこでは参加者がみな、自分の質問が取り上げられないかと、期待して聞きいったものです。私も3回ほど取り上げていただき、うれしい記憶として残っています。分からないことを質問すると、先生はどんなことにも答えてくれます。まさしくヒンドゥー教における「願望をかなえる樹」と言えます。質疑応答という形でなら、先生はいくらでも話すことができて、その方が楽なのですが、講演会や例大祭となると、まとまった形で話さねばならないので、テーマを考えたりして、色々と苦心されたそうです。それゆえ例大祭を準備する際には、かなりの時間をかけると言っておられました。

最後の日の朝には先生による閉会の挨拶があり、その後、それぞれが全国の各地へ帰っていきます。そのような例大祭の様子を知りたければ、DVDを見るとよくわかります。しかし実際にその場にいることとDVDを視聴することには大きな違いがあり、これについて先生は次のように言っておられました。「例大祭に参加しなくても、あとでテープを聞けばいいと思う人がいるかもしれません。けれどもテープで聞くことと実際に参加することには大きな違いがあります。例大祭の会場は一種の光のドームに覆われており、その時、その場には多くの神々が来ておられます。その雰囲気を知ることが大切なのです。それはビデオでは知ることができません。2泊3日の例大祭は、周りと隔離された、いわば天国のような状態になっており、それゆえ例大祭から家に帰ると、随分と長い間留守をしたように感じるでしょう。例大祭ですごす1日は、日常生活での1年にも相当するほど充実したものです。1年かけても例大祭の1日には及ばないかもしれない。そのように多くのことが、体を通して学べるのです」

堀田先生によると、例大祭に参加するのは人間だけではなく、参加者に関係する霊界の人もいたとのことです。ある人は例大祭の前日の夢に亡くなった奥様が現れて「例大祭に参加するのにはいくら払えばいいの?」と聞いてきたそうです。その後、先生は、では実際にどれだけの霊が例大祭に集まるのか確認したところ、参加者とほぼ同数の霊が参加していたと言っておられました。これらの霊はおそらく、各人の守護霊だったろうと私は思っています。また先生は若い頃から、旅行など、家と違う場所で寝ると、ゆっくりと眠れないそうで、はじめはその理由がわからなかったのですが、後になり知られたことは、その地で迷っている霊が救われたいと先生の所に寄ってくるのだそうです。例大祭でも同じことが起こり、2泊3日の間はほとんど眠れないと言っておられました。ある人が家に帰って、無事に全会員の帰宅を報告すると、先生の奥様が出てこられて「主人は今疲れて眠っております」と言っておられました。先生は2泊3日のあいだ、全神経を集中して我々の心に光を送り、その光が例大祭の場を包み込んでいたのでしょう。光のドームとは、先生の祈りそのものだったのでしょう。そのような例大祭ですが、先生が亡くなられた今、もはやそれは再び開かれることはありません。けれどもその時、全国の仲間と集ったことは、我々会員が共有する、懐かしい思い出となっています。ある例大祭のあと、三島駅の反対側のホームで、先生は御家族とともに立ち、我々が電車に乗るまで、笑顔でずっと手を振っておられました。その優しい御姿は今でも目の奥に焼き付き、喜ばしき記憶となって心に残っています。