堀田先生はよく、ご自身のお母さんの話をされます。先生の著書「水霊の旅」の中に「業火」という話がありますが、おそらくあれは、先生の母親をモデルにした小説だそうです。
先生の母親は水戸の出身で、その親戚には、桜田門外の変で井伊直弼を襲撃した人がいるくらい、非常に気性の激しい方だったそうです。もともと彼女には両親の決めた許嫁がいたのですが、当時、書生として実家に住んでいた方と恋仲になり、駆け落ちされました。それが先生の父親となった方です。先生の父親は非常に聡明な方で、国鉄に勤められて、若くして駅長にまで出世したのですが、どういうわけか、長唄などの芸事にはまってしまいます。また、とても人の良い方だったので、人に頼まれれば嫌といえず、返せないと分かっていてもお金を貸したりして、夫婦仲は徐々に悪くなり、家の中は大変だったそうです。お父さんは77歳の時に脳卒中で亡くなりましたが、先生はその後、母親の世話を熱心にされて、一時はこれを奥様が不満に思って、苦情を言ったところ、先生は「自分にとって親はかけがえがない」と言われたそうです。しかし気の強い母親を見ていると、自分はどうしてこの人の子として生まれたのかと、よく疑問に思ったそうで、そのことに関しては親不孝をしたと述懐されていました。
先生の母親は死ぬ3年ほど前に大病を患い、医者からもうだめだと言われましたが、どういうわけか元気を取り戻します。その後3年ほどが経って、先生と内なる主の交流が始まり、しばらくした頃、母親は風邪で寝込み、1週間もしないうちに亡くなられました。その時、内なる主は先生に、次のように言われたそうです。「今のまま母親が亡くなったなら、あの世に帰ってから不幸になる。だから今から、彼女が生きているうちに、今までの88年間で、どういう時が楽しかったか、また、悲しい時はどんな理由によるのか、そうしたことを思い浮かべて、楽しかったことを思い出されるように語りかけなさい」と。昏睡のように眠る母親に、先生は主に教えられるがまま、そのように語りかけて、楽しい気持ちで母親があの世に旅立つようにされました。
人間は死ぬ時に暗い気持ちのまま亡くなると、死んだ後に暗い世界に落ちてしまい、また恨みを持ったまま死ぬなら、地獄に落ちることもあるそうです。それほどに死の間際の思いは重要で、その人の死後の行き先を決定してしまいます。このことは「臨終正念」と呼ばれて、それゆえ、死の時に神様を思い浮かべることができれば、その人は暗い世界に落ちずにすむとのことです。人間はいつ死ぬか自分ではわかりません。それゆえ我々はただちに神を思い、念じて生きていくべきです。先生が死の床にある母親のそばで禅定していると、肉体と魂をつなぐ霊子線が見えてきました。そしてしばらくすると、それがプチンと切れたとのことです。霊子線が切れた時が実質的な人間の死とされますが、その後も心臓が動き続けることがあるそうです。母親はその翌々日まで心臓が動いた後に、息を引き取られました。そのとき内なる主は「心で祈りながら、母親の頭の先から足の先まで軽く(体に触れずに)さすってやりなさい」と言われ、先生がその通りにしたところ、88歳の老女の顔がみるみるうちに若くなり、笑っているようになったので、家族とともにその様に非常に驚いたそうです。入棺までの50時間、母親の体はまったく死後硬直が起こりませんでした。しかしながら、母親は死後、天国ではなく、幽界という世界に行かれました。内なる主は「ここで2年間、修行することになる。そのあと、あなたの修行次第で、上の世界に行くことができるだろう。すべてはあなた次第だ」と先生に告げました。母親はその世界で、一人で庵に暮らしながら、自己反省と自己修練の日々を送り、2年が経ったころ、無事に上の世界に登って行かれたそうです。先生は、母親はもうこの世に生まれてこない、つまり輪廻から解脱したと言っておられました。
いつも先生は親孝行の話をされます。そして神様の次に大事にすべきは、自分の両親であるとまで言われます。親を大事にできない人間は、次の世では虫けらになったり、人間に食べられる鳥に生まれ変わったりするそうです。このような話は先生自身の体験からきた切実な感慨であるのでしょう。
インドの叙事詩「ラーマーヤナ」の中にも、孝行息子の話があります。あるところに、シュラヴァン・クマールという少年がおり、彼は15歳でしたが、両親は2人とも盲目でした。彼は幼いころから両親に仕えて、その面倒を見ていたのですが、両親の切実な願いは、インド各地の聖地を巡礼することでした。それを知った息子は、盲目で年老いた両親を運ぶために、2人を乗せるために竹で編んで籠を作り、それを棒の両端に結んで肩に背負い、各地を巡礼して回りました。念願が叶って、両親は非常に喜びましたが、ある時、彼が森の中へ水を汲みに行った時、ダシャラタ王(ラーマの父親)が彼を鹿と間違え、弓で射てしまいます。瀕死の息子は王に「どうか両親に水を運んでください」といって死んでいったそうです。
かつて先生は言っておられましたが、人によっては、両親の世話をすることで、両親より早く死んでしまうこともあるが、そのような人はあの世に帰った時に、大いに歓待されるとのことです。先生にもお子さん達がおられ、ご子息1人と令嬢2人ともに偕和會の会員で、そのうち息子様は偕和會の事務所に勤務されています。先生は晩年になり体が弱られたため、点滴をするため病院に通っておられましたが、ご子息が毎日、車で病院まで送っておられました。また先生が亡くなった後には、お母さんの世話を熱心にされていました。人間は親の後ろ姿を見て生きていくと言われますが、まさしく言い得て妙と言えるでしょう。