堀田和成先生の前世

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先生の前世は誰だったのか、と、時々気になります。先生は生前中、自分の過去世は誰であったとか、はっきりとは言われませんでした。ある講演会で、司会の方がそれらしきことを言った時、先生は「私はあくまで堀田和成という一人の人間で、過去の誰それとか言うことは、まったく関係がありません」と、それを訂正されました。一方、先生はご著書の「彼岸への道」の中で、エジプト、モスクワ、そしてイスラエルとエジプトを結ぶ海岸線などの、過去世で自分が住んでいた土地の上空を、円盤に乗せられて見て回ったと書いておられます。はて、先生は誰だったのでしょう?

ある時、先生は、月刊誌の「窓」で、「不思議なこと」という表題で、帝釈天(インド名ではインドラ)について色々と書かれました。そこで気になって「偕和會とインドラの神は何か関係があるようですが、どうなのでしょうか?」と聞きました。すると先生は「私との関係を聞いてきた人がいましたが、ちょっと、こういうのは困りますね」と言葉を濁されました。偕和會の聖堂の近くには、柴又の帝釈天があります。また先生の家の近くには神社があり、そこでは須佐之男命が祭られているそうです。日本の神話に出てくる神様は、インド神話の方がほとんどだそうで、須佐之男命はインドラの現れとのことです。このように、先生の住んでいる近くに、インドラ神関係の事物がいくつもあるのは、気になるところです。

またある時、先生の前に○○が現れて、「その節は大変お世話になりました」と言われたそうです。この方は生前、仏教を広めることに急なあまり、他宗派をひどく非難されたため、あの世に帰ったときにお咎めを受けたそうですが、先生の話では、この方の声は重厚で、非常に説得力がある方だったそうです。けれども、先生はそのように言われても、昔のことだからすっかり忘れていたと言われました。○○宗ではどういうわけか、帝釈天を祭る寺院が多いそうです。

またあるとき先生は、瞑想をする時は、朝の時間帯に、東の方角を向いて行ってくださいと言われました。それを聞いたある人が、東は太陽の昇る方向だからですかと聞いたところ、先生は「東は私の方角なのです」と言われたそうです。密教では、世界の4つの方角を如来が支配するとして、中央に大日如来がおられ、東は阿閦如来、南は宝生如来、西は阿弥陀如来、北は不空成就如来(釈迦如来だともされる)がおられます。阿閦仏国経は、阿閦如来とその支配する妙喜世界について書かれたものですが、それを読んでわかることは、阿閦如来に33天の神々が仕える様子は、ちょうどインドラ神に従う33人の神々とそっくりです。33とはすべての神と言うことで、インドラ神はそれゆえ神々の王とされています。ある学者によると、ヒンドゥー教におけるインドラ神(帝釈天)が、密教での阿閦如来へと変化したのではないかとのことです。

次にモスクワについてですが、ある方がモスクワ郊外にある、ロシア正教の本拠地である、至聖三者聖セルギイ大修道院を訪れた時、そこに飾られているセルギイの肖像画を見て、あ、と驚いたそうです。また偕和會の研修会、のちに全国例大祭となりますが、そのほとんどは熱海で行われたのですが、その最初に行われた修善寺の地にある旅館の隣には、ロシア正教の聖堂がありました。すると何か、ロシア正教とも深いつながりがあるようです。

あるとき先生は、「いくら前世で武勇のある武将であっても、今生ではそんな能力は奪われているんですよ」とも言われました。先生の前世は武将だったのかな、とも思います。本当のことはどうなのかな、誰か先生に直接聞けばよかったのになあ、と時々思います。