偕和會の「ひびきカレンダー」について

偕和會カレンダー
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年末になるとさまざまなカレンダーが売り出されて、各種事業体からもそれぞれカレンダーが配布されます。偕和會にもカレンダーがあります。けれども、「ひびき」カレンダーと呼ばれるそれは、普通のカレンダーとは異なり、それは特別なカレンダーです。何が特別かというと、このカレンダーには不思議な力があることです。カレンダーの表紙には、一文字の漢字が書かれていますが、これは堀田和成先生が毎年、その年に相応しいものを選び、墨で色紙に書かれたものです。先生が文字を書かれると、その文字には不思議な力が宿ります。口から発せられた言葉は言霊と呼ばれて、そこには命が宿るとされますが、書かれた文字にも不思議な力が宿るようです。先生が墨で文字を書くと、その文字は紫色に変色してしまいます。堀田先生は多くの色紙を書かれましたが、その裏側を見ると青く焼けたようになっているものがあるそうです。このカレンダーの表紙を切り取り、家の壁などに張っておくと、そこからは光が放たれて、その家を守ってくれます。地縛霊の災いがある家では、家のあちこちにこの表紙を張ることで、それらの霊はおとなしくなります。阪神大震災の時、高速道路を走っていたあるバスは、そこから落ちそうになったものの、すんでのところで残った部分に引っ掛かり、落ちるのを免れて、その結果、全員が命拾いをしました。その映像はテレビで放映されましたが、そのバスの運転手だったか、それとも乗客だったかは忘れましたが、その家には偕和會のひびきカレンダーがあったそうです。

カレンダーの表紙はこのように切り取って使いますが、カレンダーの毎月の上の部分には、堀田和成先生が書かれた「ひびき」の言葉が載せられています。ちなみに今月の場合、それは「生きる者の証しは、この世の明暗に心を着せず、一意、神に献身し、活動の結果を天にお返しする」となっています。堀田先生は、文章を書く場合、一般の人が読んでも違和感のないよう、慎重に言葉を選んで書かれました。それゆえ書かれた文章の解釈は、人によって分かれることがあります。やはりその人の精進によって文章の解釈も変わってくるようです。その月に書かれている言葉が、その時の自分の問題と関係するということがよくあります。何気なくカレンダーを見た時に、はっと気づかされて、不思議な感慨を覚えます。そんなひびきカレンダーですが、先生が亡くなられてからは、12年を1周期として、同じカレンダーを使うことになったようです。お値段も税込で1,300円(令和3年現在)と手ごろな価格です。

ところで、ここに載せた一連の写真ですが、以前、私が8ミリカメラで撮影した時に、偶然に撮れたものです。8ミリと言っても今の人にはわからないでしょうが、当時は、ビデオカメラは高級品だったため、庶民は8ミリフィルムで動画の撮影を行っていました。それでも、5分ほどを撮るのに、結構なお金がかかったものです。今ではいくらでも無料で動画を撮れるので、そのような方面で活躍したい人にとっては、本当にありがたい時代です。話を元に戻しますが、当時、家の中を何気なく撮影していた時、壁に貼ってあったひびきカレンダーの表紙、「忍」と「心」の文字を、何気なく撮りました。それを現像に出して、家の壁に映写していると、何やらキラキラ光るものが見えます。不思議に思って、フィルムの各コマをチェックしていくと、「忍」と「心」の文字が書かれた色紙の周囲から、青い光が放たれているのが写っており、びっくりしました。これらの写真は、もちろん、フェイクではありません。今の時代、偽造ならphotoshopなどでもっと奇麗に作れます。外からの露光じゃないのかという疑問に対しては、その場合、すべてのコマにおいて満遍なく光が被さるはずです。ところがこの一連のフィルムでは、各コマの光のうつり方がすべて異なっています。またよく見ると分かるように、光は色紙に被さるのではなく、その周囲から放たれており、一部は稲妻のように放射されています。斜めに走る光はまるで鳥のようです。それゆえ、これらの光は色紙そのものから放たれていると考えていいと思います。宗教的体験とは本来、主観的なもので、本人にしかわからず、第三者には理解しにくいことがほとんどですが、このように客観的に現れる場合もあるようで、この場合は誰の目にも明らかとなるように思います。

肉眼でもこのような光が見えないかと、私はときどき色紙を睨んだりしますが、私には見えることがありません。けれども人によっては光が見えるそうです。女性の中には霊的感応力の強い人がいますが、ある会員の奥さんは、当初、偕和會に入会していなかったのですが、夫に代わって神殿の水を替えていたところ、そこから強烈な光が放たれているのを見て、びっくりしてしまい、その後、入会されたそうです。また別の人ですが、この人も会員ではなかったのですが、家を掃除していると、何やら光るものがあるので、よく見ると、そこには偕和會の月刊誌があり、そこから光が放たれていたそうです。もちろん、この人ものちに会員になりました。先生の御著書からも、当然ですが、光が放たれています。私は家の中を散らかしていたりして、よく先生の本を踏んづけそうになることがあり、そんな時には、この罰当たりの足め、などと、自分の足を叱っています。